Nihilismus

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10年前の夏の思い出、東京ヴェルディでの4か月

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10年前の、夏。

 

私の趣味の優先順位に位置していたのはサッカーだった。

それまでもスポーツ観戦は好きで(自分が運動するのは大嫌いだけど)、中でも野球とサッカーはよく見ていたし、現地で観戦したこともあった。

ひょんなことから「選手」に注目するようになり、興味は自然とU-23Jリーグへと広がっていった。センター試験の直前にA代表の練習を観に行ったり、卒業式の直前には泊りがけでA代表の試合を観に行った(詰め込むオタ活が好きなのはこの時から何も変わっていない)。

 

当時、特に応援していた選手というのがその頃はセレッソ大阪にいた杉本健勇選手だった。大学進学で大阪を離れることになった私は、少なからず寂しさを感じていた。そんな時に発表されたのが、杉本選手の東京ヴェルディへの期限付き移籍。私の進学先は関東だったので、何というタイミングなんだろうと思ったのが正直なところである。

 

ヴェルディでの約4カ月は本当に素晴らしかった。濃かった。

他のサポーターと交流する機会が自然と増え、練習見学の人数もセレッソと比べると少なかったからか言葉を交わす人も増えた。

杉本選手は着実に結果を残し、ロンドン五輪代表に選出された。発表会見を経済学の講義中に見守ったことは今でも忘れない。

 

ヴェルディでの約4か月は、とにかく彼がサポーターから愛されていることを感じた。もちろん、セレッソで愛されていなかった訳ではないが、厳しい声を目にしたり耳にする機会が多くなってしまっていたように思う。

 

レンタル延長の声もあったが、予定通りの期間でセレッソに復帰することが決まった。

本人も「残りたかった」と明言したし、それが「上手くいかなかった」ともヴェルディでのラストマッチとなった7月15日の鳥取戦で話していたように思う。

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鳥取戦前、最後の練習に足を運んだのだが、今でも脳裏に焼き付いて離れない光景がある。練習後、杉本選手は親友の小林祐希選手(現在は江原FC所属)とコンクリートに並んで座り話し込んだ。2人の目の前のピッチではジュニアユースぐらいの年代が練習していた。

話の内容は聞こえてこなかったが、その光景がとてつもなく美しく見えて忘れられない。ファンサービスゾーンで待っていたファンは、ただ静かに見守った。美しい、10年前の夏。

 

杉本選手は鳥取戦後、そのまま羽田空港へと移動し他のU-23代表選手と共に事前合宿地であるフランスへと出発した。

 

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空港ではヴェルディサポーターによる「健勇」コールが沸き起こり、それもまた杉本選手がヴェルディサポーターに愛されていたと実感するひとつの理由となった。本当に感動的な光景だったので、動画に収めていなかった自分を恨む(鳥取戦後の挨拶を聞いて通常の精神状態ではなかった)(よってこの後も終電があるにも関わらず勘違いして電車に乗らず、羽田で一晩過ごす)。

 

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ヴェルディサポーターは本当に杉本健勇を愛し、応援してくれていたという事を何とか形に残したいと思い、メッセージを集めてアルバムにまとめてセレッソに復帰した杉本選手に渡した。その際、協力して下さった方がこのブログを見ているとは思わないが、その節は本当にありがとうございました。

 

全くの余談ではあるが、この翌年、私はJリーグのチームで1シーズンインターンとして働いた。「好き」を極め続ける性格ゆえの選択だった。

間違いなくこの時の経験は現在へと繋がっているし。「好き」を仕事にすることの難しさも知った。

 

「好き」を仕事にしたいと考えている人がいたら伝えたいのだが、仕事で何かしらの壁にぶつかった時「好き」が「嫌い」になってしまいそうな恐怖心がある。

「好き」を「好き」なまま大事に取っておくのも一つの選択なのだと。それでも私は出来る限り「好き」を仕事に出来るよう努めている。

 

そしてスポーツビジネス特有の難しさ。

その日、自分が凄く良い仕事をやり遂げたと思っても、チームが負ければお客さんの大きな満足度には繋がらない。ピッチレベルでブーイングを浴びながらそんな事を考えた時もあった。

 

話はいつものようにあっちこっちいったけれど。

1人のスポーツ選手の、10年前の約4か月の期限移籍がここまで心に残っているということを伝えたかった。

そんな懐古でした。