Nihilismus

I love mankind...It's people I can't stand!!

劇団四季の「オペラ座の怪人」は沼らしい

この記事をシェアする

人の沼落ちエピソードを読むのは面白い。

意外なきっかけだったり、落ちていくスピードがとんでもない速さだったり。

そしてまさに今、私もその沼落ちエピソードを書こうとしている。

 

オタク歴が長いと、沼に落ちていく自分を冷静に見つめていたり、ある意味”計画的に”沼に落ちたりする(たとえ経験豊富でも、その沼は想像より深かったりするのだけど)。

 

そう、私は落ちたミュージカル「オペラ座の怪人」に。

正確に言うと、中学生の頃には片足を突っ込んでいた。前回、劇団四季が大阪で「オペラ座の怪人」の公演を行っていた時に、1度観劇していて。しばらく「Angel of Music」のメロディーが頭から離れなかったのを覚えている。

 

次は大学時代、空きコマになんとなく見たロンドンでの25周年記念公演のDVD。とにかく衝撃を受けた。こんなに胸が痛い物語だったのかと、中学生の頃の自分は何も分かっていなかったなと。そして、すぐに同じDVDを買った。今思えば、中学生の頃からゆっくりと、着実に”地ならし”が行われていたかのよう。

 

そして昨年。東京に行った際、色々なタイミングが合い10年超ぶりに観劇。この時にラウルを演じられていたのが、光田健一さんでした。その後は東京に行くたびに、決して多くはないけれど都合がつく限り竹芝に足を運んだ。

「もっと早くハマっていれば…」と思うのはオタクあるあるだが、2022年は大阪で公演が行われると知った時、ハマるタイミングには理由があるもんなんだなと痛感した。

 

アドリブなし、結末は変わらない(当たり前)公演に、狂ったように足を運ぶ理由を『オペラ座の怪人』において簡潔に説明するとしたら、

意外と毎公演全く違う。

 

演じる俳優によって出る味が異なるのはもちろん、同じ俳優による公演でも立ち位置、視線の先、タイミング…それによって、登場人物の想いの方向・大きさが微妙に異なってくるのである。

大まかなエンディングは変わらないけれども、本当に細かな分岐がたくさんあるようなイメージ。分岐によって、そのエンディングさえも微妙に座標が異なるように感じる。

 

あと、これに気付き始めるとこれはこれで新たな沼なのだと思うのだが、アンサンブルの方々の動きが公演によって全く異なるシーンもある。

 

回数を重ねればいつかファントムが救われる回もあるのでは(ない)と、思っている節もある。やっぱりファントムには幸せになって欲しい。

 

そして、先程お名前を出した光田健一さん。この方がラウルを演じていたから、ここまで通うようになったと言っても過言ではない。

私が抱くラウル像に恐ろしいほどピッタリとハマった俳優さんでした。

優しさ、温かさ、光という言葉がピッタリな包容力。勇ましさや行動力でファントムに挑んでいくというよりも、優しさ、温かさ、光でファントムと対抗するイメージ。あふれ出すおとぎ話の王子様感(個人的見解です)。そりゃ私が惹かれる訳だ。

 

あと私がこの世で一番好きな衣装、『マスカレード』の軍服が本当に本当に似合う俳優さんだと思っている。見て欲しいポイントを書き出すと、長くなりそうなのでまた別の機会に。

 

そんな「オペラ座の怪人」。来年には久々に韓国語での公演が控えている。こちらも本当に楽しみ。公演が始まる時にはもっと気軽に韓国に行けるようになっていることを願うのみ(さすがに領事館徹夜はキツい…)。

 

最後に。

深い沼の世界への招待状を貼っておきます。

www.shiki.jp